PEIZO SNAPS

ブログでもやろうかと意気込むが三日坊主が癖の男ブログ

Protect the land(土地を守る)

前回の記事で書いた土地を、父がトラクターできれいに耕した。

約40年前、傾斜地に何枚もあった畑で葉タバコ栽培をし続けることが難しく、トラクターを使う農業がしたいと思った父が、一念発起して地元の建設業者を雇って整地し、一枚の畑にしたのだ。この辺りにはない、広い広い畑で幼い頃の私の自慢の畑だった。あれから40年間、葉タバコの栽培と並行してハウスを建ててイチゴ栽培をするなど、我が家の家計を支えてきた畑だ。

 

ここ数年は草地に果物の木が植えられているだけの状態で、この畑を今後どう管理するかという頭痛の種でしかない存在だった。

 

しかし、久しぶりに畑に入って土を耕し、土の匂いをかぎ、踏みしめると昔の記憶がよみがえってくる。耕してみれば、良い土だ。こういう土を母は生涯愛したのだ。

母は生前、死んだら骨を畑に撒いてくれというほどに、畑に生きる女性だった。私は小さい頃から鍬を持ち、両親と一緒に畑に入って鍬を使って過ごしていた。

 

いくらノスタルジックな気持ちになっても、現実は厳しく、これだけの広い畑を将来一人で管理していくことの難しさはよくわかっている。

でも、でも何とかしたい。何とかしたいだけではどうにもならないのだが。

 

もう二度とイノシシに掘り返されたくないと思った父は、耕した畑の周囲に電柵を張ることにした。早朝5時半、まだ暗いうちからたたき起こされて、出勤前に電柵張りを手伝わされた。

父もまだまだやる気はあるらしい。そりゃそうだ。この畑を40年守ってきた本人なのだから。

 

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昭和53年、約350万を投資して数十枚あった畑を3枚にまとめてもらった。おかげでトラクターを使うことができた。この地域にトラクターを使った農業を営む農家などなく、誇らしく思っていた。今のお金に換算すると一体いくらになるのかわからないが、当時我が家は決して裕福ではなかったから、大変な冒険だったと思う。

 

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11月になると猟が解禁になり、猟師が山に入る。そうするとイノシシたちは山奥へ入っていくらしいが、それまでが大変なのだ。イノシシのやることは年々ひどいことになっている。電柵は有効だ。